日生ノ木日

私の全て。これは私がこの世に存在した証。

贖罪

恥に恥を塗り重ねて、失敗し過ぎた過去。

捨てたはずの、醜い記憶。

もう思い出すことも、振り返ることもないと思ってた。

けど、一度犯した過ちは、いつまでも私に付き纏う。

あの時はとにかく必死で、そんなところまで頭が回らなかった。

目の前の依存・安心という名の幻を掴むのに必死で。

でもなんとか自分を取り戻して、溺れながら藻掻くのをやめて、岸に上がった。

それで、やっと幸せを掴んだ。

はずだった。

 

過去は消せない。

私の記憶だけなら容易い。

でも、他人の記憶や行動までは操れない。

私の存在ごと消してしまいたいくらいだけど、私にはどうにも出来ない。

過去に今の自分の幸せを壊されると思うと、気が狂いそうだった。

辛い日々を乗り越えて、必死で掴んだ幸せなのに。

私のことを人間とも思っていない最低なヤツに、壊される。

誰にも言えなくて、ただ怯えてた。

これが、私の過去の過ちの代償か、と思って。

卑怯な手段を使う相手が憎らしくて仕方なかったけど、過去の精算をせずに幸せになってしまった私が悪いのだとも思った。

ずっとずっと不幸で報われないままでいれば良かったものを、幸せになんてなろうとしたから。

そんな思いが、一気に蘇ってきた。

心の片隅に閉じ込めたはずの、辛い苦しみの片鱗が襲いかかってきた。

私は、幸せになんてなってはいけない。

謙虚に、過去を忘れず、苦しみながら、不幸でいなければならない。

 

私は、みんなを信じていたい。

ひねくれた考えを持つ反逆者だけど、

心のどこかでは、出会う人たちがみんな悪い人では無いと信じてる。

性善説信者かもしれない。

だから、他人よりも自分を呪う方が楽だと思ってしまう。

自分に責任や罪を載せた方が辻褄が合うから。

 

でも、今の幸せが愛おしすぎて、

反発してしまった。

自分が悪い、を打ち消して、他人が悪い、を信じ込むようにした。

私は、やっと掴んだ幸せを絶対に離したくない。

それを守るためなら、性善説なんか切り裂いてやる。

強くならなくちゃいけない。

きっと誰もがそうやって、何かを犠牲にして、見ないふりをして、自分のために生きてるんだから。

 

私は死にたい

いつからだろう。

自分が本当に好きなものを好きと言えなくなってしまったのは。

皆と違うことを隠したくて、自分の内側を見透かされるのが恐くて、無難な上っ面を作り始めたのは。

毎日塗りつぶしてるうちに、もう自分でも自分が分からなくなってきてしまった。

好きなものを自信を持って好きとも言えず、

必死で生きてるうちに時間も余裕もなくなってしまって、することさえ叶わない。

私の生きる意味がなくなっちゃった。

死にたい。

嫌いなことで毎日が埋め尽くされて、好きなことを思い出せなくなってしまうくらいなら、もう早く死にたい。

毎日、嫌なことばっかり。

好きでもない仕事。

知らない、興味もない人と話すこと。自分がされたら1番嫌な、話しかけてくるやつにならなきゃいけないこと。向いてもないし素質もないリーダー。適度な距離感の、頭を使うコミュニケーション。人間を道具として見る教え。なりたくもない社会人としてのマナー。成長意欲もないのに積極性を求められるストレス。

努力が当たり前になった世の中。

肌と髪は綺麗に、素敵なコスメとサプリ、刺激は最小限に気を遣い、ニキビで一喜一憂。ネイルにまつ毛に美容院に通い続ける。体型維持のために、食事はタンパク質を大切に、週一のジムも欠かさず。立ち振る舞いや言葉遣いも常に気を付けて、日々勉強の精神を忘れない。正気か?

 

毎日毎秒何かに苛まれる、追われる。

どこからどこまで頑張ればいいんですか?

「やらなきゃいけないこと」で毎日が消費されていくだけ、「やりたいこと」に手が届かなくなっていく。

そして、やりたいという気持ちさえ忘れていく。

 

こんなのは、おかしい。

絶対に納得出来ない。

そんな中で、生きていたくなんてない。

やりたいこと、好きなことを忘れて感情を殺して生きているなんて、ただの動く屍だ。

そんなふうになるくらいなら、大切な気持ちを忘れてしまう前に、私は死にたい。

夢からの覚醒

夢から醒めてしまった気がする。

恥ずかしげも無く、私のかつてと同じ夢を嬉しそうに語る少女を見たとき。

昔好きだった曲を、感情を込めて大切に奏でようとしたとき。

昔の自分やそれが立てた壮大な夢を思い出して、虚しくなる。

心が麻痺しかけて、夢から現実に醒めてしまった。

あのとき、あれほど「夢を夢で終わらせない」

と意気込んでいた私はどこに行っちゃったんだろう。

気付けばもう23歳にもなって、好きでもない目の前のことに必死に毎日を捧げて、心をすりへらす日々。

今を変える勇気がない。

そして、勇気がないまま夢を失いそうになってる。

私の夢ってそんなもんだったのか。

 

最近、どこを見ても焦る。

テレビやSNSを見れば、才能を持った若い人が活躍していて、身近な友人や同期を見れば、好きな仕事を手に勤しんでいる。

私はどちらにもなりきれない。

前者になるには遅すぎた。

努力も自身も覚悟もなく、なれるわけないから。

後者になるには愛が強すぎた。

友人たちの生き方を否定してるわけではないのが大前提だが

私は好きなことを中途半端に仕事で終えられる自信が無い。

まず、好きなことを嫌いになりたくない。

それに、どうせなら会社の構造なぞに囚われないような、とびっきり好きなことをしていたいと思ってしまう。

大口叩く割に全く出来ていないのだけど。

 

そんなこんなで、置かれた場所で瑞々しさを失いながら、仕方なく咲いている花が私。

今にも忘れてしまいそうな懐かしい夢をぼんやり浮かべながら、頭を垂れた悲しげな花。

ずっとこのまま2022.08.19

この夜に閉じ込めてほしい

ままならないし、

何も出来ずに

もどかしい思いばかり

かといって

普通になろうとするなら

気を張って

頑張って生きないといけない

それならいっそ

永遠にこのまま一人でいい

この夜に閉じ込めて欲しい

 

 

涙の意思2021.12.15

 

面接と聞くと、思い出すことがある。

中学校でやった高校受験の面接練習だ。

あの時は、ありのままの自分に自信があった。

やることなすこと全てやりたいことだったし、自分なりの成果もあった。

だから、言いたいように言えた。緊張はしたけども。

だから、私のことではない。

私の前に面接練習をした子のことだ。

 

その子は、面接中、うまく言葉が出せなくて、詰まってしまい、「あれ、何でだろう」と言いながら涙を流した。

私は、その子の気持ちがわかってしまった。

自信に満ち溢れていたあの頃でさえ強く共感したのだ。

 

あの子が"泣いた"理由はわからないけど、

私が共感していたのは、多分、言葉が出ないことによる焦りと不安、相手の反応への恐怖、しっかりしなきゃいけないのに上手くいかないもどかしさ、などなど。

都合の悪いことに、自分ときちんと向き合っていればいるほど上手く語れないし、語るのに抵抗がある。

とにかく、こういう時に、脳が正常に機能しなくなってしまうのは、何となく覚えがあった。

 

私は元々、相当仲が良い人でなきゃ1体1の会話が苦手だった。

何を話せばいいのかわからない。

相手が何を考えているのかわからない。

とにかく不安になってしまい、ヘラヘラ笑いながら誤魔化したり、一方的に質問をしまくったり、よくわからない相槌で無理やり会話を終わらせたりする。

上手くいっているように見えても、内心はパニックで内容など全く入っていないこともある。

 

だから多分、面接が苦手なのは、今に始まった話じゃない。

それでも、昔より酷くなってる気がする。

 

毎回面接や発表で泣きそうになって、挙句の果てにはキャリアセンター、キャリアエージェントでさえ涙目で唇を震わせて、こんなんで就活を進められる気がしない。

というか、ヤバい奴と思われただろうな、とどうでもいいことをすぐに気にしてしまう。

皆場数を踏めばとは言うけれど、何回も辛い思いをして、治りそうにないこの癖と向き合って涙を流しながらやらなきゃ行けないなんて、地獄だ。

精神が削られる苦行でしかない。

 

 

 

妥協は逃げですか?2021.08.16

自分は無力だと思う。

自信も特別な能力もない。

自己分析とか適性検査とか、だらしない自分を丸裸にされてるようで、いたたまれない。

それに、自分がそう感じるということは、

自分がどうしようもない人間だと気付きつつも、努力をしていない

と同義なのだろう。

考えたり向き合うことを避けて、楽な方へ、諦める方向へ。きっと、いつもそうやって生きてきた私への罰なのだろう。

変わろうと思わないのか?

むしろ、変わった結果がこれなのだ。前は絶対的な意志と理想があって、常にそれを成し遂げねばならないと考えてた。でもいつからか、叶わないことや努力が役に立たないことも学習して、前を見たり周囲と比較するのを辞めた。自分の中のギャップが大きくて苦しいのもあるけど、誰かを見たところで自分は自分、比べることにあまり意味が無いと思ったからだった。それが間違ってたとも思わない。無意味なプライドの対立を避けて、壇上から降りたところで心穏やかに生活してた。けど、これは一時的な逃避であり、否が応でも壇上に上らねばならないらしい。端的に言えば、私の生き方は甘えであり、「克服」ではなく「逃げ」ていただけだった。

 

 

 

ね、わかってよ。2021.07.20

私は今ベットの灯りをつけ、騒がしい音楽をお共に文字を打ち込んでる。静寂広がる無機質な病室に、静かに抵抗してみる。私の前にあるのは、美しいメロディーと暖かい布団と古くさいタオルケット、スマートフォンの文字だけ。今だけは何も怖くない。

私は大好きなもの達に囲まれて生きてきた。好きなものだけ選んで、他のものは見ないようにしてきた。嫌なら関わらなければ良い、どうしてわざわざ辛い思いをして関わらなければならないのか分からなかった。狭い世界でも、私は満足してた。この世界が好きだった。

でもそれはダメなんだって。私の世界は否定された。その瞬間に、バラバラになって砕けた。何も見えなくなって、暗闇を彷徨う亡霊になった。私は自分の世界を失った。

もう、駄目かもしれない。私が好きだったのも、きっといつの間にか、私のことが好きな人になってた。お互いがそれじゃ成り立たない。

私は、せめて少しだけでも、受け入れて欲しかった。全部とは言わない、少しでいい。最初から全否定しないで、理解しようとして欲しかった。結局私の意見なんて聞く気がない。最初から答えは決まってる。それなのに、わざわざ一から否定されて、辛かった。いつもそうだ。自分だけ愛されようなんて、狡い話だ。贅沢すぎる。自分勝手だよ。