日生ノ木日

私の全て。これは私がこの世に存在した証。

涙の意思2021.12.15

 

面接と聞くと、思い出すことがある。

中学校でやった高校受験の面接練習だ。

あの時は、ありのままの自分に自信があった。

やることなすこと全てやりたいことだったし、自分なりの成果もあった。

だから、言いたいように言えた。緊張はしたけども。

だから、私のことではない。

私の前に面接練習をした子のことだ。

 

その子は、面接中、うまく言葉が出せなくて、詰まってしまい、「あれ、何でだろう」と言いながら涙を流した。

私は、その子の気持ちがわかってしまった。

自信に満ち溢れていたあの頃でさえ強く共感したのだ。

 

あの子が"泣いた"理由はわからないけど、

私が共感していたのは、多分、言葉が出ないことによる焦りと不安、相手の反応への恐怖、しっかりしなきゃいけないのに上手くいかないもどかしさ、などなど。

都合の悪いことに、自分ときちんと向き合っていればいるほど上手く語れないし、語るのに抵抗がある。

とにかく、こういう時に、脳が正常に機能しなくなってしまうのは、何となく覚えがあった。

 

私は元々、相当仲が良い人でなきゃ1体1の会話が苦手だった。

何を話せばいいのかわからない。

相手が何を考えているのかわからない。

とにかく不安になってしまい、ヘラヘラ笑いながら誤魔化したり、一方的に質問をしまくったり、よくわからない相槌で無理やり会話を終わらせたりする。

上手くいっているように見えても、内心はパニックで内容など全く入っていないこともある。

 

だから多分、面接が苦手なのは、今に始まった話じゃない。

それでも、昔より酷くなってる気がする。

 

毎回面接や発表で泣きそうになって、挙句の果てにはキャリアセンター、キャリアエージェントでさえ涙目で唇を震わせて、こんなんで就活を進められる気がしない。

というか、ヤバい奴と思われただろうな、とどうでもいいことをすぐに気にしてしまう。

皆場数を踏めばとは言うけれど、何回も辛い思いをして、治りそうにないこの癖と向き合って涙を流しながらやらなきゃ行けないなんて、地獄だ。

精神が削られる苦行でしかない。