日生ノ木日

私の全て。これは私がこの世に存在した証。

存在証明

私は特に歳の近い男性と話す時、緊張で会話の八割は頭に入ってこない。女子だと五割くらい。その中でも、やっぱりよく覚えてることも何個かはある。

 

高校一年生のとき、駅で中学の同級生に会った。小学校では仲良かったけど、中学に上がってからあまり話さなくなった男子。流れで途中まで話しながら帰った。ふと中学の頃の話になって、なんか「中学の時はいつも死にたいと思ってた」って言われて、わかる、私もそうだった、って言ったら、「おまえもそんなことあるの?」って言われた。私は傍から見たらきっと脳内お花畑の、幸せな学校生活を送る一生徒だったんだろう。未来の私から見たって、あの時は幸せだったと思う。でも、日記を見ると、くだらないことだらけだけど確かに、「辛い」「もう嫌だ」「死にたい」ってたくさん書いてある。だから、きっと本当に辛かったんだ。そして、私の他にも死にたい人がいた。それを知れただけで、その日はなんだかとても嬉しくて、良い日だと思った。なんでだろう。なんか、ちゃんと心を通わせられた気がして、話しかけて良かったな、って思えたんだよね。

 

あともうひとつ。私ずっとローソンで働いてて、井手さんを始め、隣で働いていた色んな人がいなくなっていくの。途中で辞めたり、別の店舗に行っちゃったり。他のシフトのところはそんなことないのに、私だけ、私の隣だけいつも違う人が入れ代わり立ち代わりで、なんか寂しかった。私のせいだとも思った。ふとそれを岡林に愚痴っぽく漏らしたんだよね。なんでそんな話になったかはもう忘れたけど。最近まですっかりそんなこと話したの忘れてたんだけど、岡林が最後の日に、「俺は他の人とは違ってちゃんと最後までいたよ」って言ってくれて、なんかすごく嬉しかった。覚えててくれたんだなって。大したことじゃないんだけど、やっぱりこれも心を通わせられた気がしたんだよね。

 

私、人間と必要以上に関わるのはあまり好きじゃない。というか、会話が苦手だから、常に正解を探して苦痛を感じるのが嫌なの。でもね、こういう出来事があると、やっぱり会話って捨てたもんじゃないのかなって感じる。話すだけで誰とでも心を通わせられる訳でもない。実際、ここに書いた二つだって、私がそんな気がしただけであって、本当は相手はなんだコイツって思ってるのかもしれない。でも、私は心が「伝わった」って感覚が好き。伝えるのは苦手だし怖い(ワニとトラウマの方参照)けど、それでも分かり合えるって素晴らしいことだと思う。だから、少し勇気を出して、壁を消して、相手と向き合ってみようかな。何も深く考えずに、そう、自分の言いたいように、伝えたいようにすればいい。そんなに周りばかりを気にしてないで、自分の心さえ信じていれば、案外人と接するのは難しいことじゃないのかもしれない。

世間は私を知らなさすぎるからね!ちゃんと素晴らしい私の存在を知らしめないと!笑