日生ノ木日

私の全て。これは私がこの世に存在した証。

夏休み

今年の夏休み、ありえないくらい何もしなかった。個人的な練習のためにカラオケに行くことも無かったし、新しい曲を練習しようとすることもなかった。曲を作ろうとも、作詞しようともしなかった。なんなら学校で言われていたこともやってない。歌いたい曲も決まってないし、もう決めてある曲も一切練習してない。練習してないどころか、聞いてすらいない。夏休みの終わりが近づくにつれて焦ってたんだけど、結局何も出来なかった。する気になれなかった。

夏休みが終わって、一人で学校に通う日常が戻ってくると、不思議な感じがした。学校も授業も、正直少しめんどくさいと思ってた。夏休みが楽しかったからか、サボりすぎたからか、理由はわからない。自分で投資したお金なのに。けど、行ってみると、そこは音楽に囲まれた、やっぱり私が好きな場所だった。しんどい気持ちは夏休み中と同じだよ。自分の心を投影する作詞もダルいし、作曲は難しくて出来そうにない。歌も下手くそだから歌いたくないし、自分より上の人がたくさんいる環境なんて、プライドが高い私からしたら地獄。それでも、いざピアノの前に座るとワクワクするし、また新しい曲弾きたいなとか、歌いたいなとか、考え始める。授業を受ければ、色々吸収していかなきゃとも思うし、作業に没頭して楽しくなる。

好きなことを好きで居続けるのって、すごく難しいと思う。自分の才能を信じて、努力をし続けるのはもっと大変なこと。私には才能がないし、ひたすら頑張れるほど努力家でもない。けどね、学校に行く前も今も、ずっと音楽が好き。それだけは変わりたくないと思ってる。なんかもう、それさえあれば充分かなって。

思い出したんだよね、私が休学してまで専門学校に通いたかった理由。もちろん音楽がやりたかったのもあるけど、自分を変えたかったから。自分の思いを音楽に託して、伝えられるようになりたかった。作詞も作曲も思うように出来なくなっちゃったから、以前考えていたような方法では無理かもしれない。でも、自分を変えたいっていうのはもっと違う形でも実現できそう。それに、「変わりたい」の答えはもう見えてきてる気がする。前はこんな風に前向きに考えることもできなかったからね。

世間の人や過去の私は、これを逃避だとか怠惰だと呼ぶのかな。それとも、諦め?

だとしたら、「逃げも諦めも、案外悪いことじゃないよ」って教えてあげたい。