日生ノ木日

私の全て。これは私がこの世に存在した証。

何者

私は、みんなと違う。

「お前らとは格が違う」みたいな高圧的な、プライドの高い意味ではない。

普通が分からないのだ。

いつも自分なりに、多数派と思われるような、無難な意見ややり方を模索する。

けど、いざそれを表に出してみると、間違ってる。

私の感覚は世間一般からズレているらしい。

 

自分が他の人と少し違う感覚を持ってるのは、前から分かってた。(少なくともわかってるつもりだった)

問題は、「多数派と思われるもの」を誤認してしまうことだ。

目立たないように、周りに並びたいときでも、綺麗にやらかしてしまう。

どうしてこうなってしまうのか、さっぱりわからないのだ。

この期に及んで、自分の当たり前は世間の非常識なのかもしれない、とようやく気付き始めた。

 

私は普通じゃないことが好き。

どっちかと言ったら、変わってる方を選びたい。

ゲームでも音楽でも人でも、独特な世界観を持ち、唯一無二にも思える、他と違う何かを感じたもの、周りの人が興味を持たない隠されたものに、惹かれる。

けど、知ってる。

世界には沢山のものが溢れてて、私も、私が好きになるものも、私が生み出すものも全部、どうしようもないくらい平凡なんだ。

だから身の程を弁えて、普通に身を潜めて生活しようとしてる。

それくらいのこだわりなら、周りに合わせてしまう方が楽だと思ってたから。

でも、どっちにもなりきれなかった。

中途半端に普通になろうとしたときは盛大に間違えて場を混乱させて、逆に個性を思いっきり出そうとしたときは中途半端に遠慮して何も成せず惨めになった。

他の人の普通をちゃんと理解して、馴染めるようになりたい。けど、自分の本質も捨てたくはない。

そんな2つの思いが上手く調和してくれなくて、凡人にも変わり者にもなりきれない。

 

ある人に、「変わってる自分が好きなだけじゃないのか」と問われたことがある。

2割○で8割×だ。

もちろん、変わってることが嫌いな訳では無い。

自分の独特な感覚は、この広い世界で自我を保っていく為に、自分らしく生きるために、私にとって必要不可欠なもの。

だからと言って、それを誇りにして完全なる変わり者として生きたいとは思わない。

そうなれたら、そう思えたら楽なんだろうけど、私にはそんなに振り切って、はみ出して生きる勇気がない。

「みんなと感覚が違う」「同じじゃない」って、ある種恐怖だと思ってる。

目立たないよう、紛れて過ごしたいだけであったとしても、一度ズレると否応なしに炙り出されてしまう。

一般論が分かった上で個性を出すか否かコントロール出来るなら良いけど、分からなくて、普通と思っていたもので図らずも目立ってしまうことが多々ある。

少なくともその一般論が理解出来るまでは、苦しいだけのような気もする。

 

まあ、ただただ生きるのがヘタクソなのかもしれない。