日生ノ木日

私の全て。これは私がこの世に存在した証。

仕様がない

ふと気付くと携帯を触ってる。

音楽を聴いてる。

ただの言い訳なんだけど、これは日常から逃げたいからだと思う。

 

いつからか「考える」ことが怖くなった。

ほんの一年前くらいまでは確か、嫌いではなかったはず。カレンダーにメモした予定に胸を躍らせて、明日や数十日先の未来を想像したりもした。だけど、将来への期待や楽しみよりも、過去の反芻や不安と絶望がはるかに大きくなるにつれて、「考える」ことに嫌気が差してきた。

目に見えない不安に耐えられなくなったり、狂いそうなくらい寂しくなったり、胸が痛すぎて、呼吸が苦しすぎて、嫌になってしまった。冗談抜きで、本当にそうなんだ。喉のあたりがきゅうっと詰まるような感覚がして、心が辛くなる。「考える」のは、怖い。だから、できるだけ考えないように、気を紛らわす癖が付いた。何かを常に見たり聞いたりしていれば、深く考えなくて済むから。この20年本当に目まぐるしいほどの感情を体験したけど、どうやらその感情全部は私には受け止めきれなかったらしい。キャパが小さすぎるのか、感情が大きすぎるのか、どちらにせよ自分が弱く逃避してることに変わりはない。

最近少しマシになって、自分について考えられるようになったけど、こういうところが本当に嫌い。こんなつらつら書いても、結局それは全部言い訳にすぎない、の冒頭一文に纏まるから。全ては逃げてるだけ。逃げた自分の責任。

 

私はずっと逃げたい。考えたくない。だって、辛いから。世界は明日も、今日と同じ。特段嫌なことがあるわけでも、良いことがあるわけでもないだろう。でも、私はいつまでも進めない。考えることからさえ逃げる。そんな情けない自分が嫌で嫌で仕方なくて、明日も生きたくないなぁと思う。今は、積極的に死にたいとは思わない。でも、毎日機械のように過ごして、そんな自分が嫌で、一生認めてあげられないような惨めな生活が続くなら、生きていたくはない、とも思う。

 

明日もきっと、しょうがなく生きる。